ぢしん

若い女の子が、自前の座布団を椅子の上においている。この姿ほど、男心を揺さぶられることはないだろう。しかも、そのクッションが円形で、中央に穴が開いていようものなら、この興奮は東京直下型地震の比ではない。
穴の開いた座布団からは、どうしても痔を連想する。この子、かわいい顔をしているけど、お尻の穴は大惨事になっているのか。などと妄想する。こっちの方が疲れない。などということばはまったく耳に入らない。


こんなことをいっているのは、いま私が危機的状況にあるからだ。顧みるに、今日の昼のこと。激辛ラーメンを食べた。そのときはそれを食べたい気分だったのだ。今さら塩ラーメンを食べておけば、、などといっても詮無きこと、過去の過ちを責めても仕方あるまい。だが、問題はいま現在この時点で、猛烈な腹痛に襲われていることにある。それだけならまだよい。さらに悪いことには、唐辛子成分が、私のセンシティブな部分を刺激するということだ。紙で拭いたあとも残る、ホットな刺激。
こうしてPCに向かいながらも、実は、私は熱を感じているのである。それは、執筆への情熱というような比喩的な熱とは異なる種類のものであり、まさに皮膚感覚において、暴力的なまでにリアルに、物理的な熱エネルギーという形で、わたしの身体の一部を脅かしている。私は、ただ座りつくすばかりであり、この熱エネルギーが、いつしかは位置エネルギーに変化することを祈ることしかできない。そして、ニュートンのリンゴが重力によって地面に落ちるように、あるいは京極堂の推理によって憑き物がおちるように、この熱が虚空の彼方へ消え去ることを祈るのみである。
今日ほど、家のトイレがウォシュレットであればと思ったことはない。