MSN

久しぶりにMSNメッセンジャーにログインして、チャットをした。
前々から思っていたが、いつチャットを終えるのかが難しい。私の場合は、だいたい30分もすると「もういいや」となるのだが、平均はどれぐらいなのだろうか。
それにしても、チャットをやめるときの理由は、「風呂はいる」、「飯食う」、「寝る」の3パターンぐらいしかない。これではまるで家に帰ってきた亭主関白な夫のようなので、これ以外の口実を見つけたいものである。

ぢしん

若い女の子が、自前の座布団を椅子の上においている。この姿ほど、男心を揺さぶられることはないだろう。しかも、そのクッションが円形で、中央に穴が開いていようものなら、この興奮は東京直下型地震の比ではない。
穴の開いた座布団からは、どうしても痔を連想する。この子、かわいい顔をしているけど、お尻の穴は大惨事になっているのか。などと妄想する。こっちの方が疲れない。などということばはまったく耳に入らない。


こんなことをいっているのは、いま私が危機的状況にあるからだ。顧みるに、今日の昼のこと。激辛ラーメンを食べた。そのときはそれを食べたい気分だったのだ。今さら塩ラーメンを食べておけば、、などといっても詮無きこと、過去の過ちを責めても仕方あるまい。だが、問題はいま現在この時点で、猛烈な腹痛に襲われていることにある。それだけならまだよい。さらに悪いことには、唐辛子成分が、私のセンシティブな部分を刺激するということだ。紙で拭いたあとも残る、ホットな刺激。
こうしてPCに向かいながらも、実は、私は熱を感じているのである。それは、執筆への情熱というような比喩的な熱とは異なる種類のものであり、まさに皮膚感覚において、暴力的なまでにリアルに、物理的な熱エネルギーという形で、わたしの身体の一部を脅かしている。私は、ただ座りつくすばかりであり、この熱エネルギーが、いつしかは位置エネルギーに変化することを祈ることしかできない。そして、ニュートンのリンゴが重力によって地面に落ちるように、あるいは京極堂の推理によって憑き物がおちるように、この熱が虚空の彼方へ消え去ることを祈るのみである。
今日ほど、家のトイレがウォシュレットであればと思ったことはない。

Nippon、汚れる

最近、電車の中などで政府広報のポスターをよく見かける。こんな感じの奴。
http://kouzoukaikaku.jp/
これって、いったい何がしたい広報なのか。というか、まずなぜ竹中直人なのか。竹中平蔵大臣との竹中つながりなのか。ポスターなんかは、やけに竹中直人の写真がでかく、構造改革の内容にふれることば(文字)は小さく、少ない。イメージ重視なんだろうけど、そのイメージが竹中直人なのがまったくもって解せない。
いや、これだけではなく、政府広報で「構造改革」をアピールするのがどうなのかというところもある。「構造改革」は、小泉政権の旗印であるので、国の金で自分の宣伝するんじゃないよと思えるところもある。それに、広報なのだから、「よく知られてないけれど、構造改革で、こういうものが利用できるようになったので使ってください」的なお知らせならば、大いに結構だと思うのだが、そうでもない。どうせなら、いま話題の中古の電化製品の問題(http://www.sankei.co.jp/news/060309/kei083.htm)を知らせるためや、地上波デジタル放送のお知らせだとかに、お金をかける方がよいのではないか。
それにしてもである。どうして竹中直人があんなにアップなのか。アップすぎて、よく見ると、奴の肌に浮かんだシミなどもしっかり見えるのである。ニッポンは構造改革をしても、竹中直人程度にしかなれないということだろうか。竹中直人的、老人一歩手前な感じでがんばっていこうということなのだろうか。
ともかく、イメージ戦略としても、イメージが悪い。どうしても竹中直人をつかいたいなら、せめて写真的に修正して、もっと肌のシミを消してもらいたい。

二級建築士は小泉チルドレン

札幌での構造計算偽造の事件ですが、件の二級建築士は会見で、「信念に基づいた行動」だと繰り返していました。この「信念」の強調は何なのか。
昨今、日本の政治を評価する際のキーワードの一つが、「信念」である。同種のことばに「毅然とした」とか、「ぶれない」とか、「屈しない」とかそういうものがある。簡単に言えば、「強さ」への志向の表れだ。これは昨今のトレンドだ。たしかに、「弱い」よりも「強い」方がいいだろうと思うかもしれないが、10年ぐらい前は「よく話し合って」、「もっと議論を」という、協調路線のキーワードが頻出していた。それが、現在では、議論よりも決断というマッチョ路線に変更したという経緯である。
前置きはここまでとして、「信念」を持つことは良いことだと思うし、信念を貫くことはかっこいいことではあると思う。小泉総理の人気は、かたくなまでに信念に固執する姿勢によるところが多いだろう。
二級建築士はおそらく、昨今の「信念」(という語)の力を知っているのだろう。ということで、謝罪するのではなく、「信念」を持った行動であると訴える。これは小泉的な手法とはいえるかもしれないが、これはもうパロディの域に達している。信念があれば何をやってもいいというわけではない。よく考えれば、痴漢だとかロリコンだとかは、ものすごく強い信念を持っているように思える。
逮捕されたロリコンさんには、ぜひ「信念に基づく行動だった」とかいってみてもらいたい。

ゲーム脳はなぜ怖い?

民主党の例の問題で敗戦処理に追われていたため、更新の間隔があきました。*1
今日、京王線明大前駅で、ものすごいポスターを見ました。ゲーム脳についてなんですが、「ゲーム脳は脳波の測定に問題があるって本当?」とかいう感じの質問文が、いくつも書かれているポスターなのです。たぶん、ここの人が作ったものです。http://www.tv-game.com/
いったい何がしたいのか。


ともかく、なんといいますか、なぜ人々はゲーム脳を恐れるのでしょうか。まあ、今ではとんでも学説だと理解されているように思えますけれども。人間には、自分にはみることのできないものをみることができると主張する人のことを、信用する傾向があるように思います。悪徳リフォーム業者の「柱が腐ってる!!」的な、一見普通に見えるけど、実は中のほうでは・・・的な論理に弱い。学者がゲームをしていると頭蓋骨の中身が、おかしくなっていると主張すると、一般人は恐怖を覚えるわけである。
細木数子だとか、オーラの人だとか、普通は見えないものが見える(と言い張る)人には、どうも人は頼りたくなったりするもののようだ。
と、思ったけれども、どうも書いてみると、詭弁っぽい。
ゲーム脳には、もともとゲームを敵視している人たちが、好都合な理論に飛びついたという側面の方が大きいのでしょうか。
ま、いいや。

*1:ウソです。某隊長への中途半端なオマージュです。

ニートくん

書くことがなく困った時。そんな時には内田先生のブログに触れることを常としている。
本日の内田先生のエントリー「不快という貨幣」(http://blog.tatsuru.com/archives/001572.php)。
正直いつもよりも長かったので、ちゃんと最後まで読んでいない。
だが、おそらくNEET君が「働いたら負け」と考えるようになるメカニズムを論じたものだと思う。
あたってるかどうかはしらない。

あの岩波書店がジェンダーフリーバッシング開始か?

東京都による上野千鶴子の講師を拒否という事件が記憶に新しいが*1、どうも昨今ジェンダーフリーバッシングが加速する一方であるようだ。しかも、こともあろうにあの天下の岩波書店もが、このバッシングに加担しているようなのである。読者の皆様は、耳を疑うのではないだろうか。だが、こちらを見ていただきたい。
http://www.iwanami.co.jp/deai/index.html
これは岩波書店HP「本との出会い診断」のページである。いくつかの質問を答えると、自分の状況や気分やあった本を教えてくれる優れものなのだ。だが問題は、この診断で「離婚をしたい」という気分を選ぶと、なんと上野千鶴子教授の本がリストアップされるのである。15冊の本がリストアップされるのだが、その中の3冊が上野千鶴子教授の著書である。また、社民党党首・福島瑞穂さんの著書も2冊含まれている。これは上野千鶴子教授の著作が夫婦関係に有害であることを岩波書店が示しているようにみえるがどうのだろうか。情報筋によると、岩波書店は業績低迷から路線変更を模索しており、「本との出合い診断」は観測気球的な色合いがあるという。*2
また、この「本との出合い診断」には他にも腑に落ちないところがある。「もてたい」という項目を選ぶと『高木ブーの楽しくウクレレ』が表示されるのである。
いずれにせよ、不可解な事件である。岩波書店からは今後も目が話せそうにない。*3

*1:参考「成城トラカレ!」http://d.hatena.ne.jp/./seijotcp/20060112/p1

*2:情報筋は、本エントリー記者の妄想の中にのみ存在しております

*3:スポーツ新聞風にエントリーを書いてみました。一応はっきり書いておくと、これはネタで、岩波がジェンダーフリーバッシングだとはまったく思ってませんよ。