勝ち馬に乗り、負け犬を叩く?

ちょっと前のものですが、東京新聞から「みんな『勝ち馬』に」。

勝ち馬にかける−先の総選挙で、初めて投票した若者らのこんな心理が自民党大勝の一因になった、という説がある。<略>
「強きをくじき弱きを助ける」という若者によくある正義感はどこへ行ったと嘆く声も聞こえる。<略>
勝ち馬にかけるのは政治的には強い指導者に自分の命運を預けるという気持ちの表れ、思考停止、付和雷同になりがちだ。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/ronsetu/20051023/col_____ronsetu_000.shtml

これを読んで、私は内田樹大先生のブログの「勝者の非情・弱者の瀰漫」というエントリーを思い浮かべた。そして、「瀰漫」は「びまん」と読むのだと、今調べた。さらに、この語は「一面にみなぎること。ひろがりはびこること」(広辞苑)を意味するのだと知り、今日もまた一つ賢くなった。たぶんこの点については、東京新聞の論説よりも、内田先生の方が厚みのある分析をしている。

小泉首相のこの「先手必勝」の手法には若い有権者に強くアピールする要素があったように思われる。それは「負け犬を叩く」という嗜虐的な傾向である。
自民党の若い公募候補たちが党公認を得られなかったベテラン政治家を次々と追い落としてゆく風景に若い有権者はひそかな快感を覚えたはずである。
「弱者は醜い」、「敗者には何もやるな」。これが今回の選挙を通じて小泉首相有権者に無言のうちに告げたメッセージである。そして、この「勝者の非情」に有権者たちは魅了されたのである
<略>
「弱者は醜い」という「勝者の美意識」に大都市圏の「弱者」たちが魅了されたという倒錯のうちに私はこの時代の特異な病像を見る。
先日書いたように、「弱者を守れ」という政治的言説はいままったくインパクトを失っている。
<略>
それは「弱者」という看板さえ掲げればドアが開くという状況に対する倦厭感があらゆるエリアで浸透しつつあることを意味している。
自分がトラブルに遭遇すると、まず「責任者を出せ」と他責的な口調ですごむ「弱者」たちに私たちの社会はいま充満している。
<略>
その「弱者の瀰漫」に当の「弱者」たち自身がうんざりし始めている。
<略>
「弱者は醜い」という小泉首相の「勝者の美意識」はこの大衆的な倦厭感を先取りして劇的な成功を収めた。
http://blog.tatsuru.com/archives/001227.php (強調jirosan)

このエントリーは昨今稀に見る秀逸なものである、と私は考える。だが、「ただし」、とも付け加えたくも思う(と、内田先生を意識してみる)。


まず、一つは、両方とも上の引用では触れられていないけど、これらは実のところは2ちゃんねる論(ニュース系)じゃないんですか、ということです。とくに内田先生の弱者論は、2ちゃんねるを念頭においている気がします。で、2ちゃんねるを思い浮かべれば、ネット上の世論の分析として、非常に鋭いものであると思う。ただし、これをネット以外も含めた世論全体に当てはめられるかどうかと考えると、疑問に思うところもある。やはり「抵抗に立ち向かう」という姿勢にまだ多くの人が惹かれたのではないか?実をいうと私は選挙期間中は日本にいなかったので、どういう風にTVで報道されていたのかよくわからないのですが、「負け犬をたたく」よりも、「小泉総理を応援する」の方がまだ強かったのではないかと思う。
みんなが「負け犬を叩く」のを喜んでいるかどうかがわかるのは、まだ先ではと思うのです。というのも、むかしは明らかに「巨大な抵抗勢力に邪魔をされる小泉総理」という図式だったのが、先の選挙の結果、多数の小泉チルドレンができただけでなく、党内では森派が最大派閥になり、旧橋本派はかなり弱体化したわけで、ここで勝ち負けがはっきりした。
おそらく、いわゆる「小泉劇場」には「敵役」が必要であって、「敵」が「負け犬」になり、「敵役」になり得ないほど弱くなった現在、それを叩くことに国民が喜びを感じるかどうかは、微妙なところだと思う。だからこそ、野田聖子さんなどの処分に迷いがでるわけで。ということなので、ここで首相を退くというのは、非常に賢明であると思います。


もう一点は、「弱者」の定義の問題です。先ほど言ったように、2ちゃんねるなどで「弱者たたき」がみられるのは、明らかで、上で強調したように、内田先生は「その「弱者の瀰漫」に当の「弱者」たち自身がうんざりし始めている。」と分析しています。ここで気になるのは、「弱者」と一口にいってもいろいろいるわけで、とりわけ攻撃されているのは「制度化された弱者」ではないかと思います。在日外国人や生活保護者など、制度的に保護された弱者(弱者の中でも優遇されている弱者)が一番嫌われる。
一方で、「ヲタク」や「毒男」など、社会生活における、ある意味での弱者(はっきりいえば、女にもてないという意味で)には、やや温かな目が向けられているわけです。とすると、「制度化された弱者」に対する「制度化されていない弱者」による攻撃ではないかとも思える。
なんか村上龍みたいになってきましたね。「いいSEXをしていない男が負け犬を叩く」とか、久しぶりにドラゴン先生にいってもらいたい(もう言っているかもしれないけど)。
そういえば、むかし『男は消耗品である』を読んだときは、すべてを「いいSEXをしていない」で片付けるドラゴン先生の姿を見て、「こいつはアホか」と正直思いましたが、ひょっとしたら先生が正しかったのかもしれない。。。