左右確認2

前回の続きですが、仲正昌樹さんと北田暁大さんのトークセッショントークセッションでは、最近だらしない左翼陣営のための批判というものがテーマだったいう聞きかじり。
こういう「まずは自己批判を」という論調は、近頃ちょくちょく目にする気がします。ここで(http://d.hatena.ne.jp/pmbl/20051113)思い出しましたが、内田先生も岩波や朝日に自己批判を特集をすればいいんじゃないかといっているそうです。
自己批判」というのは、左翼らしくていいと思いますが、「左翼的なもの」が否定されている中で、自己批判をしても逆効果じゃないのかと思ったりもします。「自分が間違っている」ということを認めたくないのが、今の潮流なわけで、そんな中で「オイラは間違っていたのかも」と左翼陣営の内輪でウジウジいっても、気持ち悪いだけではないかと。
たしかに、これまでの左翼的言説がメインストリームとなってきた中で、いい加減というかめちゃくちゃな左翼的議論も数多く生み出されたと思います。ですが、馬鹿な議論というのは、どんなイズムも関係なく、どこにでも見つかるもので、今力を増している右翼陣営にもとんでも議論は見つかるわけです。そもそも、右翼陣営の復活は、自己反省の結果なのでしょうか?
私の考えに一番近いのは、小田嶋隆さんの「ウヨ曲折」(http://takoashi.air-nifty.com/diary/2005/10/post_0e5e.html)。簡単に要約すれば

全共闘などの時代には左翼は「悪い子の思想」だったのが、時とともにマスコミ、学校、大学で褒められる「よい子の思想」になってしまったので、若い人はそれに反発している。

という感じらしい。
簡単に言うと反動、ゆり戻しですね。いわゆるネットウヨな人たちの攻撃対象をみても、マスコミや教師という権威あるとされていた人々ではないですか。「反権力」というものは、ネットウヨでは笑いの対象ではあるけれども、それはマスコミや市民団体などがお決まりのポーズとして使用する「反権力」なわけで、いわば「制度化された反権力」としての権威に反発している。
私は循環史観というほどではないけれども、社会というのは一つの極から二つの極を行き来しながら進んでいると思う。ので、右に振れはじめた動きをとめようとするのは不可能で、むしろ右への動きを加速させると、左への回帰が早まると思います。
イメージとしてはブッシュなんかがいい例なんだけど、ブッシュもダメだダメだといわれながら、そこそこ粘りますからねえ。やっぱり難しい。