ぶっくかヴァー

本を買うと、たいていの場合は勝手に紙のカバーをかけられる。
特に不満はないが、あのカバーはいったい何のためなのかがいまいちよくわからない。1)汚さないためなのか、それとも、2)どんな本を読んでいるのかをわからないようにするためなのか。
たぶん両方だと思うが、「カバーがガードしないといけないほど、俺の手は汚くないぞ」とか「人に読んでいることを知られたくないような、恥ずかしい本を読んでいるつもりはないぞ」という小さな反発をおぼえる。
とうのが、私のブックカバー概論になるが、さて本題。今日、ブックカバーの2)の役割がほとんどなくなる本があることに気づいた。
ある女の人が、電車の中で文庫本を読んでいた。表にはブックカバーがかかっている。なので、普通はどんな本かはわからないはずである。だが、私にはわかった。なぜなら、その本が異様に厚い。1000ページはある文庫本。そうなると答えは一つ。
京極夏彦!!!
あんな分厚い文庫本は京極夏彦しかないので、京極夏彦の本にはブックカバーをわざわざかけるなという話です。


そういえば、むかし電車の中でマルキ・ド・サド*1の本を読んでいる女学生をみたことがある。サブカル趣味なんだろうけど、正直ちょっといやらしい気持ちになった。ここでいう「いやらしい」というのは、いじめられたいという意味だ。

*1:SMのSの人