2ちゃんねる論レビュー1

遅ればせながら、北田暁大激変するメディア環境――「便所の落書き」が「世論」になるときについて考えてみた。
私の悪い頭で勝手に要約すると、

2ちゃんねるは悪と論じる向きがあり、実際に誹謗中傷や個人情報の書き込みなど悪い点もあるが、「折り鶴オフ」のように良いこともある。これは新しいタイプの「社会運動」で、「湘南海岸ゴミ拾いオフ」にみられるように、既存の権威に冷めた目で(アイロニー)批判しつつ、その批判にユーモアを込めることによって(パロディ)、多くの人を動員する「祭り」となりえた。また、政治的に「右寄り」でイデオロギー色が強いとされるが、折り鶴オフのように、「無イデオロギー」的なこともあり、一概には「右より」とは言い切れない。

という感じでしょうか。
率直な感想としては、2ちゃんねるに<<リベラル>>の花束をの方がおもしろかった、というところです。
今回の論の何が気に入らないかというと、2ちゃんねるにはいろいろなスレッドがありますが、問題となったり「右寄り」の姿勢が強いのは、ニュース系ではないかと思います。ニュース系のところにアイロニーやパロディをどの程度見出せるのかというと、疑問だと思います。2ちゃんねるに<<リベラル>>の花束をで触れていて、「哂う日本のナショナリズム」でいっているらしい「2ちゃんねるでは、アイロニーが薄れ、自分たちが「正義の人」になっている」というのが、どちらかというとより大きな問題なのではないか?
2ちゃんねるのことをよく知っているわけではないですが、アイロニーやパロディが新しい「社会運動」につながるというのは、むしろ例外的な事象で、「ゴミ拾いオフ」ぐらいしかないのではないか?
たとえば、「折り鶴オフ」にはアイロニーやパロディがみられるのか?
というようなことが気になるんですよね。
私は、アイロニーではなく、ネット世論やネット「社会運動」という観点から2ちゃんをみるときは、「正義の人」の側面をもっと重視すべきだと思います。
昨今のニュース系のスレで、よくみかけられるようになったのが「電凸」ということばです。人権擁護法案反対だとかなんだとか、電話やメールで意見を伝えようというのは、むしろ古い形の「社会運動」です。それこそ、いわゆる「プロ市民」がしていることを、「右寄り」の人々がやり始めたというわけです。
結局のところ、現在の2ちゃんねる(ニュース系)は、善悪二元論の世界になっているのです。政治レベルでは、「売国」/「愛国」という区分が、2ちゃんねる(ニュース系)というコミュニティで出来上がり、「売国」にカテゴライズされるものを罵り続ける。重要なのは、すでに善悪の図式がエスタブリッシュされているということで、その図式にそのままのって、「悪」(だと2ちゃんねるコミュニティにおいてされているもの)をみんなと混ざって叩くことによって、コミュニティとの一体感を感じることができる。*1
私にはアイロニーやパロディの世界ではなく、勧善懲悪の物語がより重要に思えますが、いかがなのでしょうか。


まあ、それにしてもネットの功績は、気軽に東大の助教授の書いたものに疑問を呈することができることでしょうかね。しかも、北田先生の書いたものは、ネットでしか読んだことないんですよね。。。たぶん、本では上で書いた点に踏み込んでいるんでしょうけれども、講演のタイトルとかをみても妙に「アイロニー」にこだわってる気がするのですよね。そんなのは捨てた方が、わかりやすくなるのではないかと思うのですけど。




以下は次回の2ちゃんねる論レビューのためのメモ

2ch上における中国や韓国への反感・差別意識の強さも、同じ流れにあるといっていいだろう。これらの現象を、若い世代の右傾化と捉える向きも多く、その理由を「勝ち組」・「負け組」に二分された現代日本における、〈在日でもなく、女でもなく、低学歴でもない、でも低所得な人たち〉の鬱憤晴らしだとする考察もある(荷宮和子『声に出して読めないネット掲示板中公新書ラクレ)。

*1:ちなみに、少しぐらいコミュニティに批判的な人がいるほうが、みんなでマイノリティの敵を「論破」する喜びが得られる。