邦楽では尾崎豊しか認めない

音楽がらみでいえば、今日どういうわけか、「邦楽では尾崎豊しか認めない」と口走った。
まあ、実際は他にも認めたりしていて、aikoなんかはけっこう好きだったりするのです。ライオンみたいなのが名前に入っているバンド(名前が覚えられない)の「粉雪」とかいう曲は、名曲だと思ったりもします。
とはいえ、「邦楽では尾崎豊しか認めない」というのは、自画自賛的に名言だと思ったので、今後も繰り返し使っていこうと思い、忘れないためにメモしておく。

ともかく、そう口走った理由は、最近、尾崎豊の再評価が私の中でおこっているからです。曲がどうこうよりも、あの歌詞はすごいと思う。あれだけ思春期の少年の気持ちを具体的にことばにできるなんてすごい。私が大人になって、盗んだバイクで走り出す気持ちに共感することがなくなったからこそ、そう思う。
私が高校生だった頃、彼はもう死んでいたような気がするが、それでもカラオケではよく歌われたし、よく歌った。そのころは、共感できる・できないの基準で、「窓ガラス壊して回らない」系高校生だった私は、共感できない部分があったため、ステレオタイプ的というか極端な形の感情が表現されていると思った気もするが、この歳となってみれば、あの具体性はすばらしいと思う。
尾崎は詩人だ。日本のランボーだ。
などと、誰かがとっくの昔に言ってそうなことを、ランボーをよく知らないのにいってみる。