劇場化するマグロ

「マグロ解体ショー」
このことばをきいて、いやらしい連想をしてしまう人が多いのではないだろう?
いや、疑問文で書いてみましたが、「マグロ解体ショー」と聞くと、私は一瞬、何かのエロカッコいいショーじゃないかと思ってしまうので、他の人もそうなのではないかという希望的観測です。

みんなもそうでしょ?そうに決まってる。男子なんてもみんないやらしいことしか考えてないんだ。女だって上品ぶった顔しながら、心の中ではやらしいことばかり妄想しているんだ、汚らわしい。そうにちがいないんだ。(jirosan心の声)

もしあなたが、「マグロ解体ショー」と聞いて、エロカッコいいショーを想像しないとすれば、それは超自我による無意識の抑圧によるものであって、それはむしろヒステリーの徴候だ。なぜなら、抑圧されたリビドーの死の欲動(デス・ドライブ)が、サンライト・イエロー・オーバードライブとなり、波紋によって秘孔を音速で襲い掛かることになるからだ。
ということで、「マグロ解体ショー」ときくと、エロカッコいいショーを思い浮かべるという点に限っては、皆さんに同意いただけたかと思う。だが、問題はなぜ、みんながみんなそのような発想になるのかということだ。この発想自体が日本人のY染色体に組み込まれているのか?それともミトコンドリアかミジンコか?ともかく、その理由を考えてみた。
1)なんとなく「まな板ショー」と響きが似ている。ちなみに、私は「まな板ショー」が何なのかはよくわかってない。
1’)「まな板ショー」と刺身の連想で、「女体盛り」も連想する。
2)隠語では「マグロ」という語が、性的なコノテーションをもつ。
3)いわれてみれば、幸田来未のやや太り気味のムチムチ感と黒光りメイク具合が、マグロっぽいと言えなくもない気がする。
以上のようなところだろうか。
それにしても、上のようなことを考えてみると、日本語というのは奥が深い。一つのことばから複数のことばを連想する。いうならば、ことばは一つ一つが小宇宙だ。
コスモ(小宇宙)を燃やせ。