細木数子化するアジのひらき

そういえば先日、むかし細木数子ホリエモンに「ライブドアの株が5倍になるわよ」といっていたとのことで、ちょっとした話題となった。細木数子は「スッテンテンになるといったから予言が当たった」と自慢げだったが、それは女性関係でスッテンテンになるといっていたとのことだ。http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/p-et-tp0-060204-0009.html
正直なところ、私は細木数子の占いが当たった/はずれたには関心がない。そういう次元の低い話はどうでもよろしい。その程度の話はバカどもにまかせておけばいい。くだらない。■朝日社説 なんなんだこの社説。
と書くと頭がよさそうに見えるのではないかと期待している。
ともかく、そのような期待は別としても、私が気になるのは「一般の視聴者で細木数子の占いを本気で信じている人は何%ぐらいなのか?」ということだ。もっとはっきりいうと「本気で信じている人なんて、もともとほとんどいないんじゃないの?」ということだ。
けれども、こういうのを信じる/信じないと区別するのは本当に難しい。血液型、星座、などいろいろあるが、たいていの人が「本気では信じていないけれども、なんとなく気になる」というレベルだろう。おそらく、多くの人は細木数子にも同じ態度だろう。なので、細木数子があたる/はずれるというのは、たいした問題ではない。■毎日社説 こう書けるのは夢想家のみ。
ということだ。現代における占い・呪術の位置づけというのは、本当に興味深い。誰も本気にしていないが、内心ひょっとしたら本当かもとも思っている。そのような曖昧模糊とした薄い期待の空気が、細木数子のような占いだけではなく心霊系の番組などの視聴率につながるわけだ。


ところで、このエントリーのタイトルは、細木数子の化粧の白さと顔の輪郭が、アジのひらき(焼く前)みたいなのではないかという点から着想を得ました。
オレ、さえてる。キレキレだ。

倖田來未化するマグロ

昨日のエントリーで、「倖田來未」を間違えて「幸田来未」と書いていた。書いたときに、何かちがうようなと思っていたのだが、そのときは、どうでも良かったのでそのままにしておいた。しかし、なんとなく気になって調べてみたところ、<「倖田來未」と正しく書くためのページ。>(http://homepage1.nifty.com/hidex/goyo/jinmei/kouda_k.html)があることがわかった。
ありがとうごぜえます。おかげで、正しく書けるようになりました。
と言いたいところだが、正しい漢字を知り手書きでは書けるようになったとしても、PCで入力するのがすこぶる面倒だ。
改名してほしい。
MISONOかMAGUROに改名してほしい。


いや、まあ冗談ではなく、実際問題いまの時代は、インパクトがある名前もいいけど、PCで入力しやすく、ネット検索しやすいっていうのも、特に新人には大事な気がするんですけどね。

劇場化するマグロ

「マグロ解体ショー」
このことばをきいて、いやらしい連想をしてしまう人が多いのではないだろう?
いや、疑問文で書いてみましたが、「マグロ解体ショー」と聞くと、私は一瞬、何かのエロカッコいいショーじゃないかと思ってしまうので、他の人もそうなのではないかという希望的観測です。

みんなもそうでしょ?そうに決まってる。男子なんてもみんないやらしいことしか考えてないんだ。女だって上品ぶった顔しながら、心の中ではやらしいことばかり妄想しているんだ、汚らわしい。そうにちがいないんだ。(jirosan心の声)

もしあなたが、「マグロ解体ショー」と聞いて、エロカッコいいショーを想像しないとすれば、それは超自我による無意識の抑圧によるものであって、それはむしろヒステリーの徴候だ。なぜなら、抑圧されたリビドーの死の欲動(デス・ドライブ)が、サンライト・イエロー・オーバードライブとなり、波紋によって秘孔を音速で襲い掛かることになるからだ。
ということで、「マグロ解体ショー」ときくと、エロカッコいいショーを思い浮かべるという点に限っては、皆さんに同意いただけたかと思う。だが、問題はなぜ、みんながみんなそのような発想になるのかということだ。この発想自体が日本人のY染色体に組み込まれているのか?それともミトコンドリアかミジンコか?ともかく、その理由を考えてみた。
1)なんとなく「まな板ショー」と響きが似ている。ちなみに、私は「まな板ショー」が何なのかはよくわかってない。
1’)「まな板ショー」と刺身の連想で、「女体盛り」も連想する。
2)隠語では「マグロ」という語が、性的なコノテーションをもつ。
3)いわれてみれば、幸田来未のやや太り気味のムチムチ感と黒光りメイク具合が、マグロっぽいと言えなくもない気がする。
以上のようなところだろうか。
それにしても、上のようなことを考えてみると、日本語というのは奥が深い。一つのことばから複数のことばを連想する。いうならば、ことばは一つ一つが小宇宙だ。
コスモ(小宇宙)を燃やせ。

パンツは白であるべし

「純白パンツ」は男の妄想の産物か?(http://www.excite.co.jp/News/bit/00091138820874.html)を読んで感心する。たしかに、誰もが、「そういわれれば、ずっと気になっていた気がする」と言いそうな気がするこの命題。オイディプス王が解いたスフィンクスの謎に匹敵するエニグマであるといえよう。あるいは、長らく解けなかったフェルマーの定理に匹敵する挑戦であるともいえる。
ともかく、この記者は、白いパンツに憧れる男友達の発言をうけ、パンツ調査を実行したところ、純白パンツを持っている女性はマイノリティとの結果になったとのこと。たしかに、私の乏しい女性経験からみても、純白のパンツなんて見たことがない。
私はそもそも純白パンツなるものに憧れはもっていないので、この結果はいいのだが、白のパンツをはかない理由に「汚れが目立つ」、「黄ばむ」とかいうのをみると、少しだけ幻滅する。わかるけど。
そうだ。汚れるのです。はっきりいいましょう。下着は汚れるものなのです。高田総裁のふんどしも、太鼓を打ち終わった後にははく前よりも少しだけ黄色くなっているはずなのです。
それが宇宙なのです。

モテる呪文

いま話題の事件(http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060125i206.htm?from=main2)。モテ・ブームもここまできたかという感がある。
この事件を知って以来、私も皆様と同様に「モテる呪文」が何であるのか、睡眠もろくにとらずに考えてきた。この呪文に世界を救うカギがあるように思える。モテる呪文は地球を救うのである。
ともかく、あのおっさんは本当にすごい。あの顔で10人もの妻を持つなんて、ものすごい。逮捕はされたものの、『モテる呪文』という本でも出せば、ベストセラーでまた逆転できるのではないか。書下ろしでは自信がないという場合は、まずは「ホットドッグプレス」で連載してみるのはどうだろうか。

ぶっくかヴァー

本を買うと、たいていの場合は勝手に紙のカバーをかけられる。
特に不満はないが、あのカバーはいったい何のためなのかがいまいちよくわからない。1)汚さないためなのか、それとも、2)どんな本を読んでいるのかをわからないようにするためなのか。
たぶん両方だと思うが、「カバーがガードしないといけないほど、俺の手は汚くないぞ」とか「人に読んでいることを知られたくないような、恥ずかしい本を読んでいるつもりはないぞ」という小さな反発をおぼえる。
とうのが、私のブックカバー概論になるが、さて本題。今日、ブックカバーの2)の役割がほとんどなくなる本があることに気づいた。
ある女の人が、電車の中で文庫本を読んでいた。表にはブックカバーがかかっている。なので、普通はどんな本かはわからないはずである。だが、私にはわかった。なぜなら、その本が異様に厚い。1000ページはある文庫本。そうなると答えは一つ。
京極夏彦!!!
あんな分厚い文庫本は京極夏彦しかないので、京極夏彦の本にはブックカバーをわざわざかけるなという話です。


そういえば、むかし電車の中でマルキ・ド・サド*1の本を読んでいる女学生をみたことがある。サブカル趣味なんだろうけど、正直ちょっといやらしい気持ちになった。ここでいう「いやらしい」というのは、いじめられたいという意味だ。

*1:SMのSの人

ライブドア

そういえば、いまはライブドアの話題がすごく盛り上がってますね。
実をいいますと、私はライブドアに捜査が入ったというニュースをはじめて聞いたとき、真っ先に切込隊長ブログを見に行き、その後2ちゃんねるの切込スレのチェックという流れでした。このことで、私がある意味で切込ファンであることを改めて認識しました。
ライブドアでいえば、内田樹先生のブログを読みましたが、先生はさすがですね。おそろくし多忙なはずなのに、ライブドアの時事的な問題にも即座に反応する。内容も良いし、何よりも文章が読みやすく、人文系ブログの鑑だと思う。


ところで、私は「信用」をキーワードに、「ブログとデイトレード時代における言論と経済」的なことを書きたいとのですが、知識がなく難しい。「ことばと通貨」のアナロジーは古典的なトピックで、それを現代に当てはめればかなりおもしろくなるはず。
M&A、デイトレード、株の信用買いだとか、電子マネーだとか、そういう一種のフィクションの貨幣と、切込隊長の疑惑のようなブログ言論を関連づけるとおもしろいと思うのだが、株や経済についての知識が圧倒的に足りない。
誰か書いてほしい。